【富が集まるとどうなるのか?】
世の中が変わっていくときには、それまで見えなかった闇の構造が表に浮かび上がってくるものなのかもしれない。それまではまさかと思っていたようなことが、この頃ではどうにも否定しようがないものとして見えてきている。
ミャンマーで選挙不正を裁くために軍が介入した事件では、ミャンマーが最大のケシの産地であり、それが国際的な闇の組織の資金源になっていたらしいことが表に浮かび上がってきた。その選挙不正というのも、どうやらその資金ルートを確保するための国際的な犯罪だったらしいのだ。
ところで、ミャンマーで秘密裏に行われていたのは、麻薬の売買だけではなかった。何と、少数民族の子供たちがお金で取引されていたらしいというのだ。この子供たちは、闇の性産業に売られたり、さらには臓器売買みたいなことも行われていたという。しかも、アドレノクロムという薬が子供のホルモンから作られているという話があり、それが若返りの特効薬として高額で取り引きされているんだとか。ミャンマーだけの話ではなく、子供を誘拐して売買するのは世界的な規模で行われていて、闇組織の大きな資金源になっていたという。
ここまで来ると、こんな話は都市伝説ではないかと普通なら思う。実際、都市伝説そのもののおぞましい話だ。そんなことをする人が同じ人間の中にいるとは思いたくない。こんなことは作り話にちがいないと思う。奇妙なことに、こういう犯罪は残虐であればあるほど、隠すのが容易になるようなのだ。「そんなのは都市伝説ですよ!」と言われたら、ああそうかと思う。そんなことは信じたくないし、できれば嘘であって欲しいと思う。だから、たとえ何の根拠もない発言でも、多くの人はそれを信じてしまう。
だけど今、新しいワクチンで人がどんどん亡くなっているのに、それを政府もメインストリームメディアもまったく問題にしていない現実を目の前で見ていると、都市伝説と思われるようなことこそは真実なのじゃないかと思わないではいられない。
そこで思い出すのは、中世の頃に子供の生き血で若返ろうとしていたという貴族たちの伝説だ。当時はヘンゼルとグレーテルみたいに子供を捕まえて食べる魔女だとか人食い鬼の伝説がいろいろあったけれど、その真相はそうした貴族たちのために子供たちをさらっていた人々だったという話もある。サド侯爵はフランス革命前夜の王侯貴族たちがいかに頽廃していたかを架空の物語として描き出しているけれど、今それと同じようなことが起こっているようだ。
富が過剰になると、それを消費しようとして残虐行為が起こるのだということを、フランスの思想家ジョルジュ・バタイユは「呪われた部分」の中で言っていた。社会が豊かになって余剰ができるようになると、侵略戦争だとか人身供儀とかが始まるのだという。18世紀のフランスは植民地からの富が入ってきていて、王侯貴族たちは過剰すぎる富を享受していた。サドが描いたような残虐を極める性の享楽は、ちょうどそのような富を背景にして起こっていた。
実際、私たち人間は生きていくためだけだったら、それほどの富がいるわけではない。いくら贅沢をしたって、一人が使える額はかぎられている。それ以上使おうと思ったら、たとえば豪邸を建てるとか、自家用ジェット機を持つとか何とかするわけだけど、そうなると人を使わなければならなくなる。富がありあまっているということと人を使うということはくっついてくる。そして、お金があればあるほど、人を意に反して働かせるということが可能になる。法外なお金を積んで犯罪のようなことまでやらせるとか、何なら殺し屋みたいな人を雇って脅すということもできる。富を独り占めするような状況になると、どうもそういう邪悪な支配欲が生まれてくるものらしい。
子供を虐待する目的で売り買いするとか、正気の沙汰ではない。だけど、巨額なお金と引き替えならば、そういうことをする人たちがいるのだ。そして、巨額のお金を払ってでもそんな享楽を得ようとする人たちは、幸せな人だとは思えない。そういう人々の心の中をのぞき込んでみるならば、おそらくは支配された記憶、虐待された記憶などが出てくるだろう。サド侯爵もまた、母親に厳しく支配された子供時代を送っていた。人が他人にすることは、いつの時代かに自分がされたことなのだ。
人の命を犠牲にして自分が若返るということ。お金によって得られる快楽は結局そこに行き着くのかと思う。永遠に若く美しくありたいという欲望。それは当然の欲望のように思われているけれど、人と自然と共生する喜びを知っている人だったら、その欲求は奇妙に思える。何故、時が移り変わっていくのを喜ばないのだろう? 何故歳を重ねていくことを楽しまないのだろう?
若返りを約束するという薬も、子供たちを犠牲にすることで得られるのならば、そこに入っているのはどうしようもない無力さと支配される恐怖のエネルギーでしかないだろう。そんなもので若返っても、それは本当の生命ではないだろう。
フランス革命前夜に王侯貴族たちの頽廃ぶりが最も激しかったことを見るならば、こうした頽廃ぶりは終焉が近づいた徴であるように思える。自分たちの栄華がもはや終わっていくというのを感じているからこそ、何とかそれを押しとどめようとするのだと思う。それで、明らかに無茶と思えるようなことまでしているように思える。政府やメディアを買収し、パンデミックを演出して人々を閉じ込め、選挙不正を行って、資金源を確保しようとするなんて。子供たちに罪の意識を負わせてマスクをさせたりするのも、子供を犠牲にして生き残ろうとする欲望と妙に重なっている。
金は愛の象徴だが、支配に使おうとすると奴隷の象徴になるのだ。今まさに、富を支配のために使うか愛のために使うかで世界が真っ二つに分かれているようだ。どちらに終わりが来ているのかは、もはや明らかだと思う。
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